憂鬱な歴史
私のブログってなんだか、自己啓発的というか、なんかポジティブというか、元気いっぱいというか、この人って、難なく、卒なく、挫折とかなく、完璧に生きていたひとに見えちゃって、なんかこんなタイトルのブログを書いて、人間らしさを出しちゃったりなんかしたりしてみたいなああと思って、書こうかなってなりました。
私が産まれたのは、東京都練馬区。
幼少の頃は、とても活発な男の子でした。
幼稚園から小学1年生までは、練馬区。
お母さんがとても好きだったのを覚えています。
隣に住んでいた友達とよく遊び、その友達がお引っ越しをしちゃって寂しくなったのも覚えています。
小学2年生からは、板橋区に引っ越して、友達とまたもお別れ、新たにお友達を作って、秘密基地を作ったり、好きになった女の子に告白して振られたり、次に好きになった女の子の家に遊びに行った時に泣かせちゃったり、悪いことを始めちゃったりしたのが、だいたい小学4年生くらいかな。
悪いことを始めてからは、なんだか、脳味噌を使って悪いことをバレないようにするのがとても気持ち良くて、悪いことをとにかく追求することが大好きになっちゃって、小学6年生くらいまでは、小学生なりにできる悪いことはいーーーーぱいして明け暮れていました。
悪いことは、いずれバレてしまうもので、そこでなぜ私が悪いのかが分からなくて、いろいろな悪いことはその頃、反省できなくて、さらにスリルを求めて、中学生の3年間も悪いことを止めることができませんでした。
女の子の身体を傷つけてしまって、一生の傷を負わせてしまったりしても、何が悪いのかが分からなくて、それでも悪いことを辞めることがなくて、高校生になっても、悪いことをする日々は続いていきました。
悪いことをする原因は、お小遣いが20円とか、貧乏だったことがとっても大きかったかもしれないです。
みんな買ってもらっているゲーム機だとか、カードゲームだとか、身につけている全てが、不満で仕方なくて、悔しくて、その鬱憤を悪いことをすることによって発散していました。
なので、高校生に上がり、アルバイトをすることができて、少しばかりの鬱憤は解消されたりしましたが、今度はお給料を少なさに絶望して、少ないお給料で制限されたやりたいことに不満を持って、結局悪いことに走る日々でした。
私が女の子なら、絶対に援助交際をしていたと確信が持てます。
書きながら考えたけれども、8年間くらいずっと悪いことをしていました。
悪だぜ!!!げへへ!
どこが憂鬱なの?
ってなるけど、私もどこが憂鬱かわからん!
家族構成は
お父さん、お母さん
お兄ちゃん、弟と、私
5人家族で、男3兄弟の私は真ん中
放任主義の家族だから、愛されているとか、そんなのはあんまり感じたことはないかもしれないけれども、人間の感情がないわけではないから、極普通の家庭環境かな
あ、お母さんが不倫したりしていたけれども、別に悪いこととかは思わなかったなあ
お父さんが一番放任な感じだったから、放っておいたからそうなったんだなあと、無心に思うくらいでした。
悪いことと言っても、学生ができるしょぼい悪いことだし、私はへなちょこだから、ヤンキーになって暴力を振るうみたいなことはなくて、ほんとしょぼい悪いことだから、可愛いものだけれども、罪悪感と背徳感をずっと感じながら学生時代は過ごしていた。
友達はそこそこ、上部のグループだとか、悪いことをするのに引き込んだ友達とか、要は、自分の思うままに動いたり、そのお友達といて居心地の良いお友達としかお付き合いしないし、その頃も、現在もひとりでいる時間はとても楽しかったので、友達は都合のいいタイミングに捕まらなければ、必要ないと感じていました。
そう、その高校時代にアルバイト、ゲームセンター、学校と、必要最低限のコミュニケーションと、その場その場の自分の顔を変える術、自分自身の色の変わり方を少しずつわかってきて、自分をコントロールすることで、悪いことをすることを抑止しつつありました。
学生時代は、どうしても逃げられないことが沢山あって、逃げられない環境に耐えるみたいなそんな時代だから、振り返ればよかったかもしれないなああと思います。
憂鬱なことと言えば、人によく嫌われることでした。
何にもしていないのに、嫌われたり、ヤンキーに殴られたり、ちょっとしたいじめ(軽めの)を受けたりしていましたけれども、悪いことをすれば解消されましたので、それでバランスをとっていました。
何より、何が原因で嫌われるのか分からないことが、最大の憂鬱で、アルバイトとゲームセンターに逃げれば逃れられるので、特にゲームセンターにはどっぷりハマってしまい、お休みの日には1日中ゲームセンターに入り浸るのが私の唯一の楽しみでした。
て、かなり長いな。
明日も続き書きます。
最後まで読んでくれてありがとう。