私の育った街、東京
ねね、最近、誹謗中傷について、話題になっているよね
そんなこと、今に始まったことではないよね
問題が起こる→話題になる→風化する
の繰り返しだよね
ストレス解消を人に向けちゃうと悪いことが起きちゃうね
幾度どなく、人が死んで、生かされているのか、生きているのか、それとも、生き延びているのか、ね
ねね
今日はね、鳥ってなんで生まれたのだろうと思ったのだけれども、鳥さん側も、なぜ人間は産まれたんだろうとか思っているのではないかしらと思った感じです。
誹謗中傷の事件に一言。
被害妄想よりも、楽しい妄想をしたいね。
で、本題、私の育った街、東京。
会社の異動で田舎に居る今、東京が恋しくてたまらないのです。
誰だって、自分の生まれ育った街って愛おしくない?
そこから離れたくなくなっちゃうよね?
いやん、恋かしら
私の両親は、母が大阪、父が東京
文通で知り合って結婚したんだって、素敵くない?
だからといって、愛し合っているように見えたかというと、ごく普通?
喧嘩もするし、寧ろ、なんか愛し合っているようには見えなかったかもしれない。
実家は美容院で、父は仕事場から離れず、母は食事を作るとき以外は父のお手伝いをしている感じで、放置気味いや、放任主義だったのかも、でもでも、だからのびのび自由に生きれていたのかも
私の生まれは板橋区、東京の下町で、とても栄えているとは言えない街
就職をするまでどこかに出かけることも、出かける術もあまり持ち合わせていなくて、自転車で行けるとこまで行くという少年期ならではの冒険?をしていたのを思い出します。
駅でいうと上板橋、東武練馬、常盤台、中板橋、大山、平和台、下赤塚、中台、高島平、赤羽、光が丘、江古田、北池袋、池袋、そこら辺をとにかく自転車で駆け巡って、今じゃ考えられない距離を自転車でどこまでも行けるのだと信じて冒険をしていまいた。
いやいや、こんな事を書いているとね、さらに愛おしいよ東京。
そして、こんな事を書いていたらば、1万文字くらいいきそう。
そそ、私はブログを書く時はルールを決めていて、1000文字くらいに収めるというのを意識しているのです。
でね、色々ありましてね、板橋区から、北区、江戸川区、大田区と、お引っ越ししてみたりしてみて、さらに愛着が湧いちゃってね、文章で書くとね、ほーーーんと長くなっちゃうから、また続編を書こうと思うのです。
私は熱しやすく冷めやすい、飽きやすいそんな性格だと思っているのだけれどもね、魅力がすんごくいっぱいある東京は私をずっとお熱にさせてくれたし、飽きないように日々変化してくれていて、また私が戻った頃には、また私をお熱にしてくれるのだと思っていてワクワクしているのですよ。
いやいや、でもね田舎も全然飽きないのですよ。
動物が多くて、昆虫も、爬虫類、両生類、自然を感じること。んーーーー生きるって素晴らしいね。
うんうん
また続編を書くね。
最後まで読んでくれてありがとう。