愛は信頼、セックスは本能
今日はこれを書こうと思ってね、お仕事を定時であがってね、スタバで書くというのを決めていて、うわあ、王道のやつじゃんと思ってね
ドヤラー(笑)
と言うことでね
愛はセックスではない。
正直ね、愛しているからセックスしているとか思っている時期があったけれども、ある一定、同じ時間を過ごしてね、セックスをするとき、なんだか、惰性?というのか、ただ、なんとなくセックスしたりすることない?
あ、童貞、処女諸君には、まだ早いと思うが、そう、惰性でできちゃうんですよね。
所謂ね、ワンナイトラブ的なのもあるじゃないですか!
愛してた?
セックスには逸話というか、いろいろな条件が重なると結構すんなりできてしまう場合もあるし、ゲーム的な?部分もあるしね
そう
本能。
ウィキで見てもよくわからないけれども
したくて仕方がない行為のことを本能というものだと思っていてね。
愛したくて仕方がない
そんなことある?
愛する、愛さないって、判断するもの?
勝手に思っちゃってるでしょ?
勝手に想っちゃってるでしょ?
したくて仕方がないから、てのが、お互いにタイミングが合えばできちゃう感じ?
うまく説明できないけれども、愛のあるセックスと、愛のないセックスとか
もちろん、本当に愛している人とすることはいくらでもあるとは思うけれども、逆もまた然り、愛がなくてもセックスをしている人なんてごまんといる。
誰でもいいけれども、選ぶこともできる。
まあ、冷めてるのかもな、とか思うけれども、セックスは好き
だって気持ちいいもん。
気持ちいいからする!!!
だから、愛があれば、なお気持ちいい!!
なくても、気持ちいいい!!!
そう、愛は信頼。
男女関係なく、信頼されること、信頼することって、生きていれば味わうことない?
それこそ、好きな人と出会って、時間が経って、セックスしない日も増えてきたりして、でも、一緒に居たりして、愛しているから、一緒にいるからして、セックスをしているから愛している訳ではないってのがわからない?
一緒に同じベットで、お布団で寝ると気持ちよくない?
信頼って、お互いに信じあってることってことでしょ?
例えばね、浮気しないと信じてるとか
ずっと好きてい続けてくれるとか
あ、片付け忘れてた、あ、でもやってくれるかなあとか
自分の好きなものを覚えていてくれて、その好きなものを大切にしてくれるとか
ね
書こうと思えばたくさんあるけれどもね
お別れしたこともあるでしょ?
その時って、どちらかが、信じていなかったりしない?
どちらかが、裏切られたってことない?
愛しているってことは、信じられることじゃないかしら。
私は博愛主義だから、そんなに裏切られたとか思った事はないのだけれども、ワーワー喚いて裏切られたとか落ち込んじゃったりされたなら、もう愛はないのかも知れないね
でも、セックスはできちゃう
だって、本能だもの
「あ、セックスしてくれているから、愛されている!!!!」
そんなことはないのでああああある!!
愛とセックスを別々で考えると悩みも減っていくよ!
悩み=不幸
不幸=死
いやいや、極端だけれども、悩みは解消しなければ、不幸という鎖に縛られて、動けなくなったらおしまいよ!
鎖を断ち切る人は、勇者(勇気を持った他人)か、自分しかいない。
勇気を持った他人を待って、その出会う確率を待つか
いつも一緒にいる自分と向き合うかどっちがいい?
仮に勇者に出会ったとしても、他力本願になっちゃう自分が厭だから、私は私自身で鎖を断ち切るよ。
恋愛に限らずね、信頼関係の構築の基礎は、まず「信じること」にあると思っている。
そして、以前ブログでも書いたと思いますが、人間の悩みの大半は人間関係。
じゃあどうしたら信じられる?
まず、信じられる自分を見つけること。
好きなことをする。
その自分なら信じられる。
ね。
なんだか、今回はまとまりが悪かったような気がするけれども、読んでくれている人は、みーーーーーんな愛す!!!
最後まで読んでくれてありがとう。